WRC パリ・ダカールラリー日本人初の優勝者 篠塚建次郎氏が逝去


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001 2024/03/18(月) 21:52:09 ID:k.05Ug5N7I
WRCとパリ・ダカールラリー日本人初の優勝者、篠塚建次郎が逝去。享年75
投稿日: 2024.03.18 18:40
更新日: 2024.03.18 18:52

 日本人として初めてWRC世界ラリー選手権で総合優勝を果たしたラリードライバーの篠塚建次郎が、2024年3月18日に亡くなった。75歳だった。

 1948年、東京都大田区に生を受けた篠塚は、東海大学でラリー競技を開始し、4年後の1971年に三菱自動車に入社。社員ドライバーとしてラリー競技に参戦すると、同年から全日本ラリー選手権で2連覇を飾り1974年には海外ラリーに進出した。

 1986年、パリ・ダカール・ラリー(通称パリダカ/現ダカールラリー)に初出場した篠塚は、1991年にWRCアイボリーコーストラリーで『ミツビシ・ギャランVR-4』を駆り、日本人ドライバー初のWRC総合優勝を達成。翌年の同イベントでも勝利を飾り大会2連覇を達成する。

 一方、三菱ワークスチームの『ミツビシ・パジェロ』での参戦となったパリダカでは、2年目の1987年に総合3位、翌88年に総合2位となる。その後も毎年のように6位以内に入るも頂点にあと一歩届かずにいたが、初参戦から12年目の1997年、ついに総合優勝を果たしWRCに続き日本人ドライバー初の快挙を成し遂げた。
総合3位となった2002年を最後にミツビシを離れ、2003~05年はニッサンワークスの一員として参戦。2007年までニッサン車でダカールラリーに挑み続けた。
https://www.as-web.jp/rally/1055409?al...

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002 2024/04/10(水) 20:40:59 ID:dU0n2E8OA.
>>1

>日本人として初めてWRC世界ラリー選手権で総合優勝を果たした

世界チャンピオンになったのか?

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003 2024/04/10(水) 22:29:18 ID:9AZdPQ//.6
世界チャンピオンか凄いな
日本人の誇りだな

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004 2024/04/11(木) 01:48:12 ID:W1dgaSJSe2
      ,一-、
     / ̄ l |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ■■-っ < んなーこたーない
    ´∀`/    \__________
   __/|Y/\.
 Ё|__ | /  |
     | У..  |

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005 2024/04/11(木) 03:02:22 ID:p0uzdCpVd6
「世界チャンピオン」になったら「世界チャンピオン」と書くんじゃないかな。

WRC(世界ラリー選手権)は、さらに複数のクラスが混ざって競争を行う。
そのため、overall winnerとclass winnerが存在する。
現在の世界ラリー選手権はWRCクラスやWRC2クラスなどのclass winnerとoverall winnerが存在するが、篠塚健次郎のころはGr.AやGr.Nなどのカテゴリーごとにclass winnerと全カテゴリーで1位のoverall winnerが存在した。
overall winnerはカテゴリーで1位なのはもちろん、全カテゴリーで1位であったことを表し、この「overall winnner」を、縦組みの日本のメディアが記載する際、見出しの字数制限から「総合優勝」とすることが多い。
ちなみに、1991年に世界スポーツカー選手権ル・マン24時間で「総合優勝」をしたMAZDASPEEDは、総合優勝であるとともにC2クラス優勝を飾っている。
世界ラリー選手権(WRC)も現在の世界耐久選手権(WEC)も複数カテゴリー混走であるため、選手権1大会ごとに「総合優勝」が存在し、年間シリーズのポイントのトップドライバー等にドライバーズ(コ・ドライバーズ)チャンピオンが与えられる。
かつては年間王者などと、記載されていたが、年間王者や年間女王は性別を想起させるので、現在では年間総合(優勝)などと記載されることが多い。

F1などのフォーミュラーカーのレースはカテゴリー単走が基本であるため、「総合優勝」ということばはドライバーズチャンピオンに対してつかわれることが多いと思われる。

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