元南海広瀬叔功さん、心不全で死去 89歳
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001 2025/11/06(木) 07:18:22 ID:wJhRYl9IM2
https://news.yahoo.co.jp/articles/fe55f8e1e2208ec0a9d84... プロ野球南海のリードオフマンで歴代2位の596盗塁を記録し、南海監督を務めた広瀬叔功(ひろせ・よしのり)さんが心不全のため2日に亡くなっていたことが5日、分かった。89歳だった。広島県廿日市市出身。
愛称は「チョロ」。野村克也、杉浦忠とともに鶴岡一人監督率いる南海の顔だった。同僚だった野村からは「天才」とも言われた。通算2157安打を放ち、596盗塁は福本豊(阪急)に次ぐ2位。
俊足、好打、強肩に加え、天性の野球勘で数々の記録を作り、タイトルを獲得した。
広島・大竹高では投手で、元々は教師を志望していた。それでもテスト生として55年に南海に入団。投手から内野手に転向し、56年はプロ初打席初安打から7打席連続安打を放った。
57年から1軍に定着し、走攻守そろった万能選手として活躍した。のちに福本が登場するまで「球界の1番打者といえば広瀬」だった。
61年から5年連続盗塁王、63年には首位打者にも輝き「2冠」は史上初だった。「大事な場面で確実に盗塁する」というポリシーで、盗塁死はわずか123回。企図数で差はあるものの、成功率は
福本の78・1%を大きく上回る82・9%を誇り、300盗塁以上の選手では長らくプロ野球記録だった。64年には31連続盗塁をマークしている。
77年に引退。そのシーズン終了後に、突然の解任となった野村監督の後を継ぐ形で監督を引き受けた。78年から80年まで率い、監督通算成績は136勝227敗27分け。91年から2年間は南海の後身
ダイエーでコーチを務めた。その後は地元広島に戻って、NHKの解説者や日刊スポーツでも評論家を務めた。99年に野球殿堂入り。
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